2013 年 2 月 のアーカイブ

第4回愛媛代協セミナーが開催されました。

2013 年 2 月 5 日 火曜日

平成24年11月10日(土)

2012-11-10-001 愛媛代協セミナーの第4弾企画として、(株)フィロソフィ 代表取締役 植松博之様にご講演いただきました‼

 今回は、愛媛代協会員の皆様のための特別プログラムとして、「 脳と心を活用して “目標を達成する” 」 というテーマで、たっぷりお話していただきました

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 講師の植松先生は、マネジメントシステムコンサルタントとして 全国で多数の企業の顧問をされながら、機能脳科学・認知心理学・ゲシュタルト心理学・NLP(神経言語プログラミング)・現代分析哲学・マネジメントシステム論の最新の研究成果をもとに構成された多様な講座を、松山市内だけでなく 都市部でも数多く開催されています。

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2012-11-10-0041 セミナー終了後のアンケート調査においても、参加された皆様から 大変ご好評頂き、「また開催してほしい」などの声も多数頂戴いたしました。 

 愛媛代協では、今後も 会員代理店様の教育活動の一環としてお役に立てる情報をお届けできるよう 取り組んで参ります☆

多くの皆様のご参加、誠に有難うございました

エッセイ : 「地震保険を語る」 全12回

2013 年 2 月 5 日 火曜日

☆☆

≪第四回≫ 地震保険なんて役に立たない?

 

 岩手県宮古市田老町、長さが2千メートルを超え、高さが10メートルの日本一の堤防を築いていたことで有名になった町だ。 「築いていた」 と過去形で書かねばならないことが、心の底から悔しい・・・・。 東日本大震災による巨大津波は、この堤防を軽々と乗り越え、町に甚大な被害をもたらした。

 同じ宮古市重茂の姉吉地区、明治、昭和の二度の津波で壊滅的被害を受けたこの地区には 漁港から続く急坂に石碑が立つ。 「 高き住居は児孫の和楽 / 想え惨禍の大津波 / 此処より下に家を建てるな (以下、略) 」、1993年に建てられたこの石碑が 地区住民を今回の津波から守ることになった。

 

 どちらが優れていたかを論じるつもりは毛頭ない。 いずれも、人がこの世に示す存在の証だ。 科学技術を駆使して 人は自然に挑戦し、それがもたらす様々な脅威を克服してきた。 そして その一方で、自然との調和を図るために 長い時間をかけて多くの知恵を残してきた。 まるで、矛と盾にように、どちらもが人を守るために大切な努力の現われである。

 

 地震保険とういう制度もまた、地震という自然がもたらす脅威に対する 人としても営みの形である。 「地震など滅多に来ることはない」 「火災保険と違って建物の全額はでない」 「保険料が高すぎる」 「地震のときは保険会社も経営が危なくなって支払えない」 「損害査定のトラブルが多い」 「地震がなければ全部が保険会社の儲けになる」などなど・・・、地震保険への疑問や批判の声は数多くある。

 

 地震保険は本当に役に立たないのだろうか? 1966年 (昭和41年) に誕生して以来、東日本大震災が発生するまで、正直に言えば、この保険が大きな注目を集めることはなかった。 阪神淡路大震災の時でさえ、783億円の保険金支払いであったものが、東日本大震災では1兆2千億円を超える支払いとなり、世の中から、高い評価を得ることができた。 この背景には何があるのだろうか?    (文責個人)

 

日本損害保険協会 常務理事  栗山泰史

エッセイ : 「地震保険を語る」 全12回

2013 年 2 月 4 日 月曜日

☆☆

≪第三回≫ 自分で自分を守ること

 

 東日本大震災によって、「津波てんでんこ」という言葉が知られるようになった。 津波の際には、ともかく各自が てんでに逃げることが何よりも大切だという意味だ。

 この言葉は、私自身の解釈だが、これに従って行動した人が、ただ一人助かった場合、「それでよかったんだよ、それしかなかったんだよ」と、その人が自分を責めないよう 救いの手を差し伸べる言葉でもあるように思えてならない。 地震の場合、防災はなく 減災しかないというが、この言葉には、極限的な状態の中での究極の減災が込められているのではないだろうか。 果てしなく重く、深い言葉である。

 

 ところで、地震において家を失った場合、人はどうすればよいのであろう。 国や自治体が助けるべきだという考え方もあるだろう。 しかし、私有財産制度の下で、持ち家の人がいる一方で 借家住まいの人もいる。 国が助ける場合は税金を使うから、持ち家の人にだけ税金が使われるという不公平は 許されないのである。

 したがって、地震への備えの第一歩は、自分で自分を守るために地震保険を付けることである。 しかし、地震保険以外には、まったく助けがないかというと そうではない。 被災者を助ける仕組みには、「自助」としての地震保険以外に、「公助」

として被災者生活再建支援法による救済がある。 これは、阪神淡路大震災において、家を失い悲惨な目にあっている被災者が多数出る中、1998年にできた制度で、家を失った人に最高300万円の補償を行うことになっている。 原則は「自助」であっても、国は被災者に対し、何もしないまま放置するわけにはいかないのである。

 そして、「自助」 「公助」 に加えて 「共助」 がある。 東日本大震災では、日本赤十字その他に3573億円(2012.5.25付 厚労省発表)もの義援金が寄せられている。 これは、家の被害とは関係なく配分されるが、家を失った人にとっては、「自助」 「公助」 とともに 「共助」 も大きな支えになることは 確実である。    (文責個人)

日本損害保険協会 常務理事 栗山泰史

エッセイ : 「地震保険を語る」 全12回

2013 年 2 月 4 日 月曜日

☆☆

≪第二回≫ 地震保険が生まれる前に・・・

 田中角栄という政治家のことは、とても多くの人が覚えているだろう。「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれる知識と行動力で政界に名をなし、学歴のないまま首相にまで上り詰めて「今太閤」と賞賛された。ロッキード事件で政界の第一線から身を引くと「目白の闇将軍」として裏から政界を牛耳った。

 この田中角栄氏が、44歳という当時では異例の若さで第二次池田勇人内閣の大蔵大臣に就任したのが1962年のことである。それから2年後、新潟で大地震が発生した。死者は26名と奇跡的に少なかったが、建物の全半壊8600棟、津波と液状化による浸水1万5298棟と建物の被害に注目が集まった。被害は新潟を中心に山形、秋田など、日本海側を中心に9県に及んでいる。

 この被害を目の当たりにして、田中角栄大蔵大臣が「地震保険が必要だ」と言い出したことが地震保険誕生の大きなきっかけとなった。そして、新潟地震の発生から2年後の1966年6月、「地震保険に関する法律」が制定されたのである。

 ところで、1923年(大正12年)の関東大震災(死者・行方不明者10万5千人、建物の全壊全焼32万1千戸)の際に、今と同様に火災保険では地震は支払えなかったが、当時の損害保険会社は火災保険の契約者に保険金ではなく見舞金を支払うことを決定した。原資として政府から6354万円を借り(利率年4分、償還期限50年、据置期間3年)、これに各社の自力での拠出分1134万円を加えて、合計で7488万円が見舞金として支払われた。6354万円は、当時の損保業界の負担感としては今の7兆円に近い金額である。この借入金は一部保険会社の経営を大きく圧迫する要因となり返済軽減の運動が続けられたが認められず、結局、戦後のインフレが問題を解決することとなって、1950年3月にようやく返済は完了することとなった。

 新潟地震の後に生まれた地震保険の過去には、このような長く、様々な保険の歴史があったのである。  (文責個人)

日本損害保険協会 常務理事 栗山泰史

エッセイ : 「地震保険を語る」 全12回

2013 年 2 月 4 日 月曜日

☆☆☆

 

≪第一回≫ 東日本大震災のことを忘れない

 

  「 さくらさくらさくらさくら万の死者 」

 

 これは、大船渡に住む「桃心地」という方が、日本経済新聞の俳壇に投稿した 東日本大震災後の光景を詠んだ俳句である。イタリア語にも訳され、ローマの日本文化会館で朗読されたという。

 死者と行方不明者の合計1万9千9人、建物全半壊38万3246戸。これが東日本大震災から1年を経た時点で公表された被害の実態だ。

 

 平成23年12月4日付の日経新聞「春秋」には こう書かれている。

「忘れられるのが怖い。そう感じている被害者が多いと聞く。 (中略) これから私たちが長く試されるのは、頭の記憶力ではなく 心の共感力ではないか。」と。

 

 今回から12回にわたって、地震保険について語りたいと思う。誤解を恐れずに言えば、保険というものは、「心の共感力」 を経済的な仕組みに変えたものであるように思える。詩人の谷川俊太郎は、「愛する人のために」という日本生命がCMに使った詩の中で、保険をこう表現している。

 

 

保険には ダイヤモンドの輝きもなければ、

パソコンの便利さもありません。

けれど 目に見えぬこの商品には、人間の血が通っています。

人間の未来への 切ない望みがこめられています。

愛情をお金であがなうことはできません。

けれど お金に、愛情をこめることはできます。

生命をふきこむことはできます。

もし、愛する人のために、お金が使われるなら。

 

 

 保険の原点には、「 一人は万人のために、万人は一人のために 」というお互いの助け合いの精神が横たわっている。地震保険もまた 同じである。 (文責個人)

日本損害保険協会 常務理事  栗山泰史